初めての海外旅行は台湾で野球観戦!
2001年、台北の天母野球場で野球ワールドカップを観戦 |
大豊さんが台湾代表として出場する試合を台湾で観戦する。
初めての海外旅行は台湾がいいなと思ってはいたものの、まさかそんな最高の機会が訪れるとは。
昨今の国際情勢(※2001年の911直後)と、観光抜きの野球W杯観戦旅行ということで、単身渡台が決定。
パスポートを生まれて初めて取得し、インターネットでおそるおそる飛行機とホテルの手配をする。
そんな中、ありがたいことに拙サイトの読者様が 「台北にいる友人を紹介しましょう」と救いの手をさしのべてくださる。
11月16日早朝、金沢を出て、名古屋へ出発。
名古屋空港から台北行きの飛行機に乗り、台北中正国際空港で、りうさん(仮名:読者様ご紹介のご友人。日本の野球とプロレスの好きな台北人。今回、なにからなにまでお世話になり、感謝の言葉が尽きない。)と無事落ち合った。
りうさんの片言の日本語と筆談と、わたしの片言以下の中国語でやりとりをする。
わたしは汗だくだ。
なにしろはじめての海外でものすごく緊張しているのと、寒い金沢から一気に南国にやってきたからだ。
それに大豊さんの生まれた憧れの台湾に来ることができて、本当に嬉しくてたまらなかったのだ。
翌日11月17日朝、りうさんがホテルに迎えに来てくれた。
「中正紀念堂へ行きましょう」。
台北駅前のホテルから、てくてくと歩いていくことにする。
いい天気なので、気持ちがいい。
11月の台北はとてもさわやかである。
街路樹が多く、南国のためかよく繁っている。
官庁街の歩道には文学者の言葉がレリーフに なって埋め込まれていて、なかなか洒落ている。
しかし、よそ見は危ない。
変革途上の台北の街はあちらこちらが普請中で、交通量も多いのだ。
道路も道幅がとても広い。
遠くに総統府の美しい建物も見える。
そして、中正公園の正門が見えてきた。
中正公園正門 |
えっ!?
写真では分かりにくいが(もっとちゃんと人物も写し込んでおけばよかった)、とにかく大きい!
中正紀念堂の権威を考えれば当然なのかもしれないが、これが中華というものか。
日本の歴史建造物をいろいろ見て歩いてきたわたしも驚いた。
京都御所の蛤御門の十倍はあるかもしれない。
屋根のブルーがとても美しく、青と白のコントラストが鮮やかだ。
中正紀念堂 |
写真に見える基台の階段は89段、蒋介石歿年齢の数だとガイドブックに載っている。
りうさん曰く「ここは台湾のスポーツ選手がトレーニングをするところです」
ははあ、「ロッキー」ですね!
※イメージはロッキーがフィラデルフィア美術館前の階段でトレーニングをする場面
と、伝えようと思うが、りうさんの反応はイマイチだ。
りうさんは映画「ロッキー」を知っているのか知らないのか、全く意味が伝わらなかったのは残念。
たぶんタイトルの発音が全然違うのだろう。
その場で♪パラ~ラ~パラ~ラ~
(※ロッキーのテーマ。ちなみに大豊さんが阪神時代に甲子園で使っていたテーマ曲でもある。)
と歌い出せばよかったかも。。。
いや、それは流石にハズカシイ。
それにしても↓この眺めである。
中正公園広場・両脇の建物は国家音楽庁と国家戯劇院 |
台湾版「ロッキー」を撮るならここだな!
りうさんが衛兵の交代式があるからと急かす。
ゼイゼイ言いながら階段を登りきると観光客の人垣の合間に凛々しい衛兵の姿が見えた。
ひととき緊張感を味わい、広大な中正公園を後にした。
衛兵の交代式 |
台灣棒球百年回顧展へ
小籠包の美味しい鼎泰豐で食事をした後、「台灣棒球百年回顧展」を見るために台北市政府へ向かう。
このあたりは新興開発区で、新しいビルや建設中のビルが立ち並ぶ(※今の台北101のあたり)。
空き地が多いせいか、建物が大きく見える。
いやしかし、台北市政府の建物はこれまた金沢市役所の十倍はありそうなド迫力だ。
東京の建物から受ける感じとも違う、このスケール感の違いに異国を感じる。
台灣棒球百年回顧展の入口 |
回顧展の会場は閑散としている。
ちょっと寂しいが、この日は特別な催しも無いし、史跡巡りが趣味のわたしにとってはよくあることなので気にしない。
丸太を削っただけのバットと、ボール代わりの石ころ、王さんをはじめとする台灣棒球明星(スター選手)たちのユニホームが飾られ、台灣棒球百年の年譜がびっしりと並べられている。
重燃野球之光 台灣棒球百年回顧展
根據文獻記載,棒球在19世紀中,起源於美國,台灣棒球發展受日本及美國影響極大。台灣棒球發展起源於20世紀初期,當時台灣因受日本人統治,所以棒球隊皆由日本人組成。
到了20世紀中期,紅葉少棒隊兩度撃敗世界少棒冠軍和歌山少棒隊,並在一連串的友誼賽中大獲全勝,35場連勝的傲人佳績,加速帶動國内棒運的全面發展,除了帶動國内棒球熱潮,也奠定了日後棒球王國的威名基礎。
緊接著國内三級棒球(少棒・青少棒・青棒)榮獲遠東區代表權,赴美比賽屡獲世界五強之一,在1984年世界賽中,撃敗不敗神話「紅色旋風」古巴隊,更讓國人為之瘋狂,使得國内棒球風氣達到頂端;1990年,台灣棒壇引進外籍球員,發展職棒運動,將台灣棒球運動發展帶入別一個高峰。
台灣棒球運動發展近一個世紀,在本次回顧展中,主辨單位將台灣棒球百年發展的重要史蹟,透過兩百餘張照片、百餘件文物及文字敘述等方式真實呈現歴史,回顧日據時期啓蒙發展、台灣少棒光榮歴史、三級棒球全面起飛、成棒傲人世界五強及台灣職棒開打等發展階段,細述台灣棒運承先啓後、光榮的發展歴史。
參歡的民衆對台灣棒球有個概括性的了解,對於重量級的球迷朋友,則可喚起無限回憶,重燃對棒球的熱愛,並且一起為在台北市舉辨的世界杯,奮勇作戰的中華健兒加油。
大豊さんの展示コーナー |
展示されていた大豊さんの品は1999年の震災チャリティのときのものらしく、阪神タイガース時代のユニホーム、バット、サインボール等が飾られていた。
写真奥は郭李投手のもの。
郭源治さんの中華台北ユニホーム、李來發氏、高英傑氏の南海ホークス時代のユニホーム等も展示されていた。
台湾棒球界の名将監督や名選手のものもあったが、馴染みがないので記憶が定かでない。
図録が欲しかったが無いようだった。
残念。
もっと写真を撮ってくればよかった。
台湾棒球史は興味深い。
日本統治時代とともに日本野球史と重なりあい、台湾現代史を背景に台湾の人々の熱気が詰まっているからだ。
その中から大豊さんは日本にやってきたのだ。
写真では分かりにくいが「王貞治第二 陳大豐」とガラスケースに書いてある。
たぶん「王貞治二世 陳大豐」といった意味だろう。
ラジオ体操ではない。
♪右足を大きく上げて~
大豊さんの展示品 |
準決勝・中華×美國を観戦
今回の野球W杯メインスタジアム、天母棒球場に到着。
かなりの人出だ。
若者がとても多い。
真新しい天母球場はこのW杯のために新築されたものだとか。
球場周辺のテントでは飲み物、弁当、台湾屋台料理や大会記念品などが売られている。
この賑やかで和やかな雰囲気は日本の地方球場とよく似ている。
2001年野球W杯マスコットTOM像 |
台北天母棒球場前広場 |
よく見れば大豊さんのサインボール等も販売されている。
よくよく見れば大豊さん直筆の看板まで!
「各位球迷您們好 記念品所賣金額的一部份是要捐出於九二一震区的小学母校 請大家多々協助幇忙!! 謝謝大家 中華代表隊 陳大豊」
「邁進冠軍 中華隊 加油!!」(※冠軍は優勝の意味)
と、ある。
なんだかすごい。
大豊さんの「お国」に来たんだなあという気がする。
売店にあった大豊さん直筆のPOP |
球場の中に入り、グラウンドに大豊さんの姿を見つける。
とうとう台湾まで追っかけて来ちゃったよ。
お国の代表の大豊さんは久々に大きく雄々しく見えた。
試合前の大豊さん(ファーストベースから二人目) |
あらかじめインターネットで「熱情的台湾球迷」が盛り上がっているらしいとは知っていたが、本当にすごい。
学生のグループは熱心に横断幕やプラカードを作ってきているし、フェイスペインティングも工夫している。
カップルが目立ち、みんな明るく陽気にはしゃいでいる。
アサヒビールがスポンサーなので、ビールも売っているが、台湾の若者には飲酒の習慣があまりないのだろうか、飲んでいる人は全然見当たらない。
球場の雰囲気でナチュラルハイなのだ。
盛り上がる台湾球迷! |
中華隊の先発は許銘傑投手。一塁手はもちろん大豊さん! |
レフト外野ポール脇に「埔里之光 陳大豐 加油」の横断幕が見える。
故郷の人の応援は嬉しいに違いない。
大豊さんの守備位置の視野に入る配置が泣かせる。
内野スタンドでは職業棒球の応援団員らしき人がトラメガで音頭をとり、「加油!加油!加油!」の大合唱。
ブルーのチアーホーンも盛んに鳴らされる。
そしていよいよ試合開始である。
試合の一挙一動に集中するスタンド |
ゲームが動けば即総立ち! |
相手チーム、美國(アメリカ)のピッチャー(先発はSTANFORD JASON投手)の球の速さに驚く。
そういえば野球の国際大会を生で見るのは初めてだ。
メジャーの選手ではないが、やはりアメリカには国技の強さを感じる。
義大利(イタリア)、多明尼加(ドミニカ)戦で好投した許銘傑投手も緊張し、苦戦する。
大豊さんはピッチャーマウンドへ何度も往復する。
この日の許銘傑投手は風邪気味だったようだ。
中華隊「精神領袖」的陳大豐 |
「許銘傑~~~!!!我愛你(愛してる)~~~!!!」の愛らしい声援(男女問わずの大合唱!)がこだまする。
許銘傑投手は9安打を打たれるも、4回まで無失点、5回にBORCHARD JOE選手に2ランを浴びて降板した。
台湾球迷の
「加油!(がんばれ!)」
「没關係!(気にするな!)」
の声は暖かく、陽気すぎるほど陽気だ。
恰幅のいい警備員さん(お巡りさん?)も愛嬌たっぷりに応援団の太鼓を叩く真似事をして大はしゃぎ。
映画のワンシーンみたいだ。
みんな試合を食い入るように観ている。
ゲームの流れと観客の呼吸がピタリと合い、歓声とチアーホーンの音色が球場を包み込む。
アナウンスが打者・陳大豐の名を告げると大歓声だ。
なんともいえない幸福感である。
三塁側スタンドに花火が!!!!!!!打席には大豊さん |
目の前のお客さんも花火!!!!!!! |
試合は0-2で迎えた5回裏、鄭昌明選手にホームランが出て1-2となり、最高潮に盛り上がる。
しかし、6回表に陽建福投手が連打を浴び満塁になると、ホームランを打ったばかりのショート鄭昌明選手がタイムリーエラー!
この回は2点を献上して、1-4に。
しかし、最後の最後まで盛り上がりは続き、スタンドに花火まで登場!
わたしの目の前でも花火が焚かれ、もうなにがなんだかわからない。
9回裏2アウト、代打の羅敏卿選手がシングルヒット。
大逆転への期待で観客総立ちの中、代走の許聖杰選手がピッチャー牽制アウト!
試合終了!!!
あっさりとした結末にも、この試合を心ゆくまで楽しんだ観客が両チームに暖かい拍手を送る。
胸がじーんとしびれる楽しい楽しい観戦だった。
天母棒球場の夜景 |
三位決定戦・中華×日本を観戦
なんの因果か三位決定戦の相手は日本である。
夕べの心地よい余韻を残しながら再び天母球場へ。
よく晴れてデーゲームを観るにはもってこいの天気だ。
今日は気分的に余裕もあるので売店をのぞいてみる。
ポップコーンやコーラなど日本と変わらないメニューの他に、独特の匂いの煮玉子や煮込みなどが売られていた。
その場でジリジリ焼かれている串刺しの腸詰を食べてみる。
とても美味しい。
お弁当にも興味津々だが、
それほどお腹がすいてないので買わなかった。
試合前の大豊さん |
試合前の大豊さん |
大豊さんの写真を撮っていると「日本の方ですか?」と声をかけられる。
その人も日本からW杯を観にやってきたのだという。
「大豊ファンなんですよー」と言うと
「そりゃ最高じゃないですか!」と言われ、ちょっとご満悦だ。
ほんとに最高の気分である。
日本の応援団の近くで観戦していたが、台湾球迷が微笑ましそうにニコニコと応援団を見ていたのが印象的だった。
多桑世代らしきおじさんが寄り添うように日本を応援している。
酔眼の台湾男性が日本の応援団を挑発する場面もあったが、壮年の男性がすかさず間に入る。
たぶん場数を踏んだ職棒応援団関係者だろう。
りうさんが心配そうな顔をしているが、似たようなことは日本でもよくあることなのでわたしは気にしない。
日本の応援団の若者たちは異国の球場にとても緊張しているようだったが、せっかくなので台湾球迷と和やかに楽しむ余裕があればよかったのに。
陳金鋒的全壘打! |
試合は陳金鋒選手が2本のホームランを鮮やかに放ち、球場が湧きに湧き上がる。
大豊さんはダッグアウトで若きスラッガーを力強い抱擁と握手で賛える。
なんと雄々しく美しい光景なのだろうと思った。
張誌家投手が好投し、完投完封ペースで9回表2アウト、日本の打者・阿部捕手が内野フライを高く打ち上げた。
すると大豊さんがファーストから怒涛の猛ダッシュ!!!
ウイニングボールは大豊さんのミットに収まった。
試合終了。
中華隊が銅メダルだ!
ホテルのテレビで見た中華隊銅メダル決定の瞬間 |
中華季軍恭喜!!!
歓喜の中華隊 |
歓喜の輪が解かれると、選手たちが中華台北の旗を先頭にグラウンドを駆け始める。
スタンドはもちろん外野の向こうにも手を振り、全ての観客に感謝を捧げる。
大豊さんは満面の笑顔で本当に嬉しそうだ。
わたしも素晴らしい時間を過ごすことができて本当に良かった。
ありがとう大豊さん。
台湾に来て本当に良かった。
グラウンドを一周する中華隊 |
謝謝台湾!!
球場すぐ隣の高島屋デパート地下小吃街で、りうさんの奥さんと合流。
可愛いお子さんも一緒だ。
セルフサービスの小吃街は日本の大型スーパーのそれと同じつくりである。
カキオムレツなど台湾屋台料理の他、日本のお好み焼などもある。
とても面白い。
試合の感激を引きずってボーッとしていると、りうさんが聞く。
「台湾と日本、どちらのチームが好きですか?」
えええええ!!!!!
それは難しい質問だなあ!
と、困りに困っていると、りうさん夫婦は不思議そうな顔をする。
軽い質問なのは承知しているが、わたしにとって一番困る質問だ。
「我喜歡大豊」と答える。
りうさん夫婦はさらに不思議そうな顔をする。
二人にとってわたしはさぞかし不思議な人間だったろう。
日本でも不思議がられてるから、それでいいのだ。
今思えば「我愛日本 也愛台湾 更愛大豐」と答えてもよかったかもしれない。
でも、それは、やっぱり、ちょっとハズカシイ。。。
ホテルの前でりうさん一家とお別れした後、散歩に出る。
書店街で本屋をハシゴする。
ちょっと足をのばして総統府の建物を間近に見る。
日本統治時代の赤煉瓦だ。
東京駅や北海道庁も美しいが、この赤煉瓦は更に美しい。
日が暮れてライトアップされた美しい総統府を後に、一人とぼとぼ歩く。
歩きながら「異国に一人ぼっち」というのは寂しいものだなあと思う。
大豊さんの「台湾から日本に来た時の一年間は、オレはいつも泣いていた。」という言葉を思い出す。
わたしにとって台湾は暖かい国だからいいが、これが寒いとなると辛いだろうなと思う。
夜の台湾総統府 |
ホテルに戻り、荷造りなどしながらテレビを見る。
中華隊の活躍が繰り返し報道されている。
街角で買った焼肉まんをほおばりながらボーッと見る。
ホテルのミネラルウォーターは埔里産だ。
「好山・好水・在埔里」と書いてある。
今度は埔里にも行ってみたいなあとぼんやり思う。
埔里のミネラルウォーター |
ホテルから見える台北駅 |
翌朝、台北駅前の台湾客運バスターミナルから中正国際空港行きのバスに乗り出発する。
淡水河に架かる橋はとても長く、おだやかな河の流れが目に入る。
空港に着き、チェックインを済ませてウロウロする。
よく目立つ揃いのジャージ姿の人がいるなあと思ったら、日の丸とJAPANの文字が!
日本代表選手だー!
がしかし、お馴染みのドラゴンズの井端選手ら、プロ選手の姿は見つけられなかった。
ちと残念。
時間が来て、いよいよ搭乗。
これで台湾ともお別れ。
名古屋には冬のジェット気流でアッという間に到着した。
名古屋から金沢までのバスのほうが長い時間がかかる。
車中、いろいろなことを思い出す。
短い滞在だったがとても楽しかった。
やはり旅はいいものだと思う。
初めての海外旅行を無事終えることができたのも、お世話になった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
明るく陽気な台湾球迷のみなさんと一緒に観戦できたことも本当に楽しかったです。
素晴らしい思い出をありがとうございました。
我愛台湾球迷!!
我愛台湾!!
謝謝大家!!
グラウンドをバックに記念撮影 |