「前略、昭和のバカどもっ!!」我が愛しき一世風靡セピア覚え書き

一世風靡セピアのコンサートチケット一世風靡セピア
一世風靡セピアのコンサートチケット
一世風靡セピア

春海四方著「前略、昭和のバカどもっ!!」

舞台やテレビドラマなどで名バイプレイヤーとして活躍する元一世風靡セピアの春海四方「前略、昭和のバカどもっ!!」を角川書店から出版したのは年号が平成から令和にうつる前年の2018年11月24日のことでした。

春海四方著「前略、昭和のバカどもっ!!」の表紙

春海四方著「前略、昭和のバカどもっ!!」の表紙

わたしにとって多感な中高生時代の一番の推しであった春さんの回想録ということで予約購入し、本当に楽しく読ませていただいたこの本の遅ればせながらの紹介と、わたしも一世風靡セピアについて書き残しておきたいと思います。

「前略、昭和のバカどもっ!!」目次

序章「夜のヒットスタジオと銭湯」

第1章「昭和の記憶、都荘の思い出」

第2章「前略、道の上へ………」

第3章「バブル前夜、セピアは生まれた」

第4章「岐路に立つセピア、最後の時を迎えた都荘」

第5章「昭和のバカどもよ、永遠たれ」

一世風靡セピアのリーダー小木茂光とメンバーの松村冬風との特別鼎談「誕生!劇男一世風靡」

一世風靡セピアは活動当時、インタビューでもテレビやラジオのトークでも劇男一世風靡ファンクラブの会報でも簡単なプロフィールとメンバー自身がそれぞれその時感じていることをサラッと明かすだけで必要最低限の情報しかありませんでした。

今思えば人気アイドルとしてとても正しいふるまいだったのですが、あの頃想像していた春さんとの答え合わせをするようにワクワクして読みました。

一世風靡セピアの母体であるストリートパフォーマンス集団の劇男一世風靡には「本業がなければならない」という掟があり、セピアのメンバーの本業は春海四方がアパート管理人、小木茂光がファッションデザイナー、松村冬風がパソコンエンジニア、西村香景がパントマイマー、柳葉敏郎がアクター、哀川翔がフリーライター、セピアを1985年4月に途中脱退した武野功雄がそば屋でした。

この本は春さんが一世風靡セピアとしてフジテレビの華やかな歌番組「夜のヒットスタジオ」の出演が終った帰りに銭湯に寄り、風呂なし共同トイレのおんぼろアパートに帰っていたというギャップの激しい二重生活を淡々と楽しんでいたという話から始まります。

そのあたりのことはこのインターネットラジオでも語られているので、ぜひ春さんの肉声でお聴きください。

2018/11/17【築地マデイラ】塩ちゃんの元気爆売り☆ラジオ!ゲスト:春海四方(元 一世風靡セピア メンバー)

昔セピアがパーソナリティのラジオ番組「前略、一世風靡セピア」を先輩ファンからカセットテープをもらって一生懸命聴いていたので、春さんのガハハ笑いや優しい声がとても懐かしいです。

塩ちゃんの元気爆売り☆ラジオ
塩ちゃんの元気爆売り☆ラジオ

春さんが「おんぼろアパートの管理人」であることは公言されていたのでわたしも当然知っていたのですが、そのアパートはかつて高倉健が無名時代に住んでいたエピソードがあるくらいの相当な『昭和の遺物』だったそうで想像のはるか上でした。

おんぼろアパートでの様々なエピソードに続いて、春さんの熱血エンゲキ青年の歩みや、トンがった男ばかりの一世風靡がどのような集団だったのかを春さんの目線で詳しく読めて、中身の濃い読み応えのある最高の一冊です。

1989年のセピア卒団ファイナルツアー福井公演のMCで聞いた白山登山の思い出話までかなり詳しく書いてあるのもとても嬉しかったです。

石川県民のわたしも白山登山の経験があるので福井のコンサートで聞いた話はよく覚えていたからです。

 そうこうしているうちに大戸代表が空に向かって懐中電灯を点けていた。

「おい、これ、見てみろ。星が消えるぞ」

空に向かって懐中電灯を照らすと星が消える。

何度やってもそうだった。光のいたずらだとはわかっていても、なんだかおかしくて、みんながゲラゲラ笑った。

「あっ、流れ星!」
「えっ、どこ?」
「そこそこ」
「くそっ、見逃した」
「ほら、また来た」
「願い事、しなくちゃ!」

三十近い男たちがそうして大はしゃぎしていたのだから、ハタから見たらさぞ滑稽だったに違いない。だけど大人になると、こんなに楽しい時間はなかなか持てない。いつまでもそうしていたかったくらいだ。それまでの疲れなどは吹き飛んでいた。

オレは、このときのことが忘れられない。

一世風靡というと、硬派だとか体育会系だとかいったイメージが持たれがちなのだろうが、それだけじゃない。

それ以前にロマンチストの集団であるのだ。(187〜188ページより)

春さんの本を読みながら一世風靡がメンバー同士の「馴れ合い」を拒絶し、いくつも掟があったのが当時まだ子供のわたしにはあまり意味が理解できませんでしたが今ならよく分かるなあと思いました。

要するに個性の強い者同士が議論はしても無用な争いをなるべくせずに集団パフォーマンスを創作していくための知恵だったのでしょう。

『セピアの誓い』というものもあった。

一、俺が主役と演じること。
一、メンバーは永久に七人ではなく、常に競いの中で選ばれると思え。
一、早く家庭を持つこと。
一、引き際が肝要。
一、音楽馬鹿にはならず、普通の男でいること。
一、暴力は、一般市民へ及ぼすなかれ。
一、酒は飲まない。

………以上、守らなかったら即、クビ。
というものだ。

常に自分を追い込んでいなければならない規律といえる。(125ページより)

春さんはメンバーと常に競い合っていなければいけなかったセピア時代を「正直に言えば、血ヘドを吐くくらい、毎日がしんどかったのだ」と回想しています。

思い返すと、わたしが春さんのファンになったのは80年代の芸能界に道の上から突然現れたモノクロのズートスーツに赤靴下の一世風靡セピアの中でも特に「普通の男」だった春さんが見せる熱血がキラキラしていてとても素敵だったからでした。

一世風靡セピア「前略、道の上より」【Official】徳間ジャパン

わたしはセピアが卒団したのはぜんぜん悲しくなくて、1989年7月31日の卒団コンサートまでのファイナルツアーは本当に楽しかったです。

子供なりにその時その瞬間しか見れない打ち上げ花火を精一杯楽しんだと思います。

ファイナルツアーのMCで春さんが必ず「よっ、春海!相変わらずバカやってるか?!」と声をかけて欲しいと言っていた汗だくの姿は今でも忘れられません。

そして卒団後の春さんは舞台演劇の道をあらためて志し、現代演劇の実験プロジェクトTPT(シアタープロジェクト東京)で演劇の基礎を学びます。

セピア卒団後の数年、わたしは春さんが出演する舞台を観ているのですが、地方で文化資本に乏しい家庭で育ったわたしに舞台演劇を観る習慣ができたのもそもそもは春さんのおかげなので本当に感謝しています。

演劇を観ることはわたしの人生をとても豊かにしてくれました。

そのうえ何度も読み返したくなるような最高に面白くて素敵な本まで出してくれてさらに感謝です!

本の刊行記念に東京の書店で「小木茂光×春海四方トークライブ」とサイン会があったのに行けなかったのは今でも心残りです。

春さんの本は一世風靡の話だけではなく道の上に出るまで春さんが何をやっていたかの話や茂さん松さんとの鼎談も超面白いので、みなさんもぜひ読んでみてください!

本を読むと詳しく分かるのですが、春さんが一世風靡に入るきっかけは川崎悦子先生とのご縁からだったそうです!!!!!

「前略、道の上より」で振付家デビューした川崎悦子先生と一世風靡については春さんの本勝俣かっちゃんねるの動画でご確認ください!

勝俣かっちゃんねる【一世風靡〜ジャニーズまで担当する天才振付師❌川崎悦子】勝俣も知らなかった一世風靡セピア誕生秘話

勝俣かっちゃんねるは芸能人のケンカ話動画が断然大人気ですが、この川崎悦子先生はまじで神回なのでは。

一世風靡セピアグラフィティ

一世風靡セピアのデビューからリリースした楽曲、アルバム(ベスト盤を除く)、コンサートツアーなどを順に振り返ります。

★1984年4月25日、世界初のポスターデビュー「今、我に正直に生きてみたい」

・「前略、道の上より」1984年6月25日発売
作詞/セピア 作曲・編曲/GO TO

◎VIDEO「現在(いま)が好きです」1984年6月25日発売

スズキのスクーター「ラブ・スリー」のCM出演と楽曲が話題に

◇アルバム「道が俺達の背を押した。」1984年8月5日発売

■1st TOUR「FIRST」1984年8月10日〜12月13日

・「道からの組曲」1984年10月25日発売
作詞/セピア 作曲・編曲/GO TO

◇アルバム「道に落ちていた男」1984年12月16日発売

■2nd TOUR「NO COMMENT」1985年1月6日〜4月21日

・「賽を振れ!」1985年3月26日発売
作詞/セピア 作曲・編曲/GO TO

◎写真集「祭」1985年3月30日発売

・「風の唄」1985年7月25日発売
作詞/セピア 作曲・編曲/GO TO

◎書籍「寓話」1985年7月31日発売

■サマーフィールドツアー「EXPERIMENT GAME」1985年8月2〜25日

◎VIDEO「SEPIA PHANTOM」1985年11月5日発売

一世風靡セピア「セピアファンタム+現在がすきです」(DVD)ダイジェスト 徳間ジャパン

◇アルバム「街よ、崩れるように笑いなさい」1985年11月25日発売

■4th TOUR「街よ、崩れるように笑いなさい」1985年12月6日〜1986年4月26日

★徳間ジャパン(BOURBON RECORDS)からアルファ・ムーン(MOON RECORDS)に移籍

・「花鳥風月」1987年1月1日発売
作詞/SEPIA 作曲・編曲/後藤次利

■5th TOUR「La. boratoire」1987年1月5日〜5月15日

◇アルバム「花鳥風月」1987年2月10日発売

・「善い酔い嘉い」1987年4月8日発売
作詞/SEPIA 作曲・編曲/芳野藤丸

・「我が愛しき犯罪者たち」1987年8月10日発売
作詞/SEPIA 作曲/SEPIA 編曲/関谷聡

・「夢色一つ飛び!」1987年10月28日発売
作詞/SEPIA 作曲・編曲/後藤次利

◇アルバム「遊学人」1987年11月28日発売

■6th TOUR「遊学人」1988年1月5日〜4月17日

・「汚れつちまった悲しみに…」1988年3月10日発売
作詞/SEPIA 作曲・編曲/芳野藤丸

・「こっちから願い下げだぜ!〜OVER THE END〜」1989年1月1日発売
作詞/SEPIA 作曲・編曲/増田俊郎

■7th TOUR「CELEBRATION GAME」1989年1月5日〜2月27日

■FINAL TOUR「SHIBUYA」1989年4月6日〜7月31日

・「SHIBUYA」1989年4月10日発売
作詞/道乃上夢麿 作曲・編曲/後藤次利

◇アルバム「SHIBUYA」1989年4月25日発売

◎VIDEO「SEPIA FINAL」1989年10月10日発売

一世風靡セピア「SEPIA FINAL~一世風靡SEPIA・卒団の日より~」(DVD)ダイジェスト 徳間ジャパン

◇卒団コンサートライブ盤「SEPIA FINAL 〜LIVE IN SHIBUYA」は徳間ジャパン(BOURBON RECORDS)から1989年10月25日発売

※一世風靡セピアは徳間ジャパンを離れたタイミングあたりで「一世風靡SEPIA」表記に統一しましたが、このブログ記事では細かい区別はつけないことにします。

徳間ジャパンから「一世風靡セピア DVD-BOX~バーボンタイムズ」というDVD3枚組(税込¥6,600)が通販限定で2022年7月29日に発売されています。

DVD-BOX~バーボンタイムズ クラウン徳間ミュージックショップ
スタジオジブリ作品、北島三郎、三山ひろし、MAN WITH A MISSION、Tiara、ソナーポケット等のCD・DVD・Blu-ray・グッズを販売。クラウン徳間ミュージック販売の公式オンラインショップ。

劇男一世風靡とは

一世風靡セピア「前略、道の上より」の大ヒットによって、全国的に知られた劇男一世風靡というストリート・パフォーマンス集団についても簡単に書き記しておきます。

当時わたしは地方在住の中高生で東京渋谷のNHK前で毎週日曜日午後三時から行われていた一世風靡のストリート・パフォーマンスを実際に見ることは結局叶わず、歩行者天国(通称・ホコ天)文化も伝聞でしか知らないので、あくまで自分用の覚え書きとさせていただきます。

現在、東京では秋葉原・銀座地区(中央通り)と新宿地区で1970年から歩行者天国が行われています。

原宿から表参道・代々木公園にかけてのホコ天も1970年代に始まり東京の若者文化発信の象徴として多くの人を集めましたが、1998年に中止・廃止されました。

【平成回顧】〈10〉哀川翔、ホコ天には「無限の可能性があった」
 天皇陛下の生前退位により4月30日で30年の歴史を終える「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、あらためて当時を振り返る。第10回は平成10年(1998年)。(この記事
「ホコ天」をもう一度。これからの日本の都市再生|都市計画|Aktio Note-アクティオノート〜創造する人のためのノート〜
「都市の再生」をテーマに建築家の太田さんと、芝浦工業大学の桑田教授にインタビュー。後編では、70年代後半から盛り上がった日本の「ホコ天」文化を振り返りつつ、日本の都市再生についてお話しいただきました。

原宿周辺で始まったホコ天には人気ブティックのド派手な洋服に身を包みディスコブームに乗って踊り始めた若者グループが現れ竹の子族と呼ばれ、ディスコブームに反発した若者グループは50’sスタイルでロックンロールを踊り始めローラー族と呼ばれました。

ローラー族に飽き足らない若者は別の芝居志向の勢力と合併し、活動場所を原宿から渋谷に変え「劇男」としてストリートパフォーマンスをスタートさせたのが劇男一世風靡の前身となります。

1983年3月に株式会社劇男一世風靡設立。ストリートパフォーマンスがマスコミに紹介され、人気が上がり始めるとメジャーデビューの話がいくつも舞い込みます。

一世風靡の中からメジャーで音楽活動を始めるにあたり会議で名乗りを上げた七人(小木茂光、春海四方、松村冬風、西村香景、柳葉敏郎、哀川翔、武野功雄)音楽制作集団「セピア」を結成しました。

セピア以外のメンバーは音楽活動に大反対しますが、「道の上の音を創造する」という結論に仕方なく納得します。

一世風靡では民主主義と個人の意見を尊重していて何を決めるのも全員会議で結論が出るまで延々と議論や多数決をしていたそうです。

劇男一世風靡は劇団部門と音楽部門(セピア)、若者の意識調査をするリサーチ部門(ストリートクラブ)で構成されていました。

劇男一世風靡のロゴマーク

劇男一世風靡のロゴマーク

セピアのデビュー曲「前略、道の上より」に和太鼓(演奏は林英哲)が使われたのも、ストリートクラブが何度もリサーチして”道の上の音”に合う音色の楽器として選ばれたのだそうです。

毎週日曜日のストリートパフォーマンスはセピアを含む団員が行なっていましたが、ストリートクラブの団員はパフォーマンスは行わずリサーチを専門としていました。

団員数は五十名くらいで多い時は百名くらいいたそうです。

中野英雄や勝俣州和は劇男一世風靡の団員でストリートパフォーマンスをしていましたがセピアではありません。

武野功雄はセピア脱退後も劇男一世風靡の団員としてストリートパフォーマンスをしていました。

1989年のセピア卒団時に古参メンバーが退団した劇男一世風靡は若手メンバーで活動を続け、原宿23号線に場所を移してパフォーマンスグループ『Final Lights』、ダンスグループ『ECNA-D』とエンターテイメント集団『PARROTS』を運営していましたが、1992年に解散しました。

現在ミュージカルで活躍しているKENTAROは1989年から1992年まで劇男一世風靡で活動していたそうです。(劇男一世風靡に入ってから〜KENTAROの自己紹介③〜

劇男一世風靡YouTuber説、そして都市伝説

わたしは今ヒカキン&セイキンが大好きでYouTubeばっかり見ているのですが、YouTuberの立ち位置を理解するのに一世風靡を思い出してすぐ納得することができました。

劇男一世風靡YouTuber説と言ってもいいかもしれません。

このブログ記事を書くのに春さんの本にある茂さん松さんとの鼎談や一世風靡の発行物を読み返していても、今のYouTuberたちと重なる部分が多かったです。

もちろん時代の違いやホコ天とインターネット、アナログとデジタル、表現方法の違いは大きいですが、自分のやり方で自分や自分の好きなことを自由に表現して唯一無二の存在になる『道』はずっと続いていると思いました。

それからこれも勝俣かっちゃんねるからですが、一世風靡はメンバーそれぞれ話がバラバラで「都市伝説だけ膨らんでいく」というところは大爆笑です。

こっちで聞くとちがってあっちで聞いても違う
都市伝説だけ膨らんでいく

【柳葉敏郎さん②】一世風靡セピア誕生秘話!勝俣と初対面で骨折事件「ふざけんなお前」

そんな一世風靡についてまとめてみましたが参考になったり、思い出の振り返りのお役に立てれば嬉しいです!

一世風靡セピア『BEST SELECTION』試聴ダイジェスト♫ / 徳間ジャパン

台湾プロ野球で「前略、道の上より」

余談ですが台湾プロ野球で「前略、道の上より」がヒッティングマーチに使われています。

その選手は統一ライオンズ(統一7-ELEVEn獅)のキャッチャー、林岱安選手です。


↑2018年に筆者が台南球場で統一ライオンズの試合を観戦した時の動画

おそらく「前略、道の上より」が日本の高校野球のブラバン応援で定番になってから台湾でも使われるようになったのではないかと思われます。

とはいえ海外の球場で実際に聴いていてセピアの卒団コンサートから30年くらい月日が流れたことを思い出しながら本当に不思議な気持ちになりました。

わたしの統一ライオンズ台南観戦記(2018年)はこちらの記事です。

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