大豊泰昭を読む 1「大豊」-TAIHOH Book 1

大豊泰昭自伝「大豊」のサイン本 大豊さんの話
大豊泰昭自伝「大豊」のサイン本
大豊さんの話

2004年に発売された大豊さんの自伝を紹介します。

現在は絶版で重版未定の本ですが、

未読の方にはぜひご一読いただきたい

「大豊泰昭の人生と生き方」が詰まった読み応えのある一冊です。

「大豊〜王貞治に憧れて日本にやってきた裸足の台湾野球少年」大豊泰昭 著


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内容

台湾の貧農に生まれ、小学生まで裸足で暮らしていた少年が雑誌で王貞治を知り、日本へ行くことを決心する。

苦難を乗り越え、日本球界に入った後も王貞治、星野仙一、野村克也などの賢人たちと出会い、成長していく元中日ドラゴンス大豊泰昭の半生。

帯の推薦文

日本人がなくしたハングリー精神を持ち、義理人情に篤い。

自分に厳しくプレッシャーをかけ続けた大豊の生きる姿勢は素晴らしい。

星野仙一

目次

  • 序―熱い記憶
  • 1章 朝着日本的職業棒球(世界の王の衝撃〜2人目の父〜壁〜焦り)
  • 2章 努力はいつか報われる(積み上げられた7000万円〜貧しさが絆を強めた〜果物泥棒と三角ベース〜裸足の野球少年〜遅れてきた成長期〜犬が守ってくれた命〜家族)
  • 3章 夢を込めた背番号55(スタメン落ちの不安―1989年〜落合さんの言葉―1990年〜新しい家族〜はじめての優勝争い―1991年〜フラミンゴへの挑戦―1992年)
  • 4章 傷だらけのフラミンゴ(2人の先人の教え―1993年〜タイトルと優勝争い―1994年〜負傷と騒動―1995年〜手が届きそうな栄光―1996年〜「台湾に帰れ!」―1997年〜星野仙一さんの存在)
  • 5章 挫折と信念と(孤独と舌禍事件―1998年〜私は何者?―1999年〜信頼関係―2000年〜星野監督へのはなむけを―2001年〜引き際―2002年)
  • 結―舞台裏の男、満足なき277本

序文より

七起き八転び。

何度起き上がっても、必ずその後につまずきが待っていた。

台湾の貧しい農村から王貞治さんへの憧れだけで日本に来て、中日ドラゴンズへ入団した。

この日本で最愛の妻と子どもにも恵まれた。

一本足打法を身に付け二冠王を取った。

阪神へトレードされ、中日に戻り現役を終えた。

努力もした。

体力にも恵まれていた。

信念もあった。

しかし、心の底から喜べる瞬間はわずかだった。

ちょっと時代錯誤でユニークなエピソードに事欠かない大豊の自伝

この自伝はシンプルな作りのソフト単行本です。

思い返すと大豊さんはこの本を出した2004年10月に名古屋で大豊飯店という中華料理店を開いたばかりでした。

王貞治に憧れ、王貞治に会いたい一心で日本のプロ野球を目指した大豊さんの心に一点の曇りはないことが行間からひしひしと伝わってきます。

そして中学2年生の全国大会のとき、スタンドで他校の試合を見ていると、王さんがホームラン756号の世界新記録を打ち立てた記念の雑誌が売られているのを見つけた。

「本当に756本も打つ人がいるのか? 私は1本しか打ったことがない」

その数字と、かつて聞いた名前にひかれ、私は1週間分のお小遣いを出して雑誌を買った。65元か70元だった。当時とすれば、かなりの金額になる。1人分の食費が、1日3食で15元の時代だ。

「どんな人だろう?」

そんな憧れが「日本へ行きたい。日本に行けば王選手に会える」という気持ちに変わっていった。(14ページより)

とくに台北の華興高校を卒業してから来日までの2年と名古屋商科大学を卒業してからドラフトまでの中日球団職員としての1年を不安や孤独に耐え、25歳でやっとプロ入りした信念の強さにあらためて驚かされます。

また、大豊さんの子供時代や来日前のエピソードからは1960年代から80年代の台湾の農村や学生野球の様子もうかがい知ることができます。

大豊さんが家の農業の手伝いで身体が鍛えられた話は、まるで稲尾和久さんが父親の手伝いで船漕ぎをして鍛えられた話のようです。

大豊さんといえば本の表紙写真にもある体格の良い無骨な一本足打法ですが、94年に本塁打、打点の二冠王に輝いたものの、その野球人生は決して華やかではなく、バッターボックスで汗にまみれ真剣な表情を崩さない姿の印象が強烈ではないでしょうか。

大豊さんはその真面目さや頑固さ、文化や言葉の壁が招いたトラブルも多く、プロ野球ファンにとって甘い果実ではなく、どちらかというと独特の臭みに好き嫌いが分かれるブルーチーズのような存在かもしれません。

苦労して入団した中日から阪神タイガースへトレードされ、砂を噛むような三年を過ごしたのち、再び中日に戻り、結局、優勝とは縁がありませんでした。

裏舞台でがんばってきたのに表舞台でこけた。本当は裏舞台などどうでもいい。努力とは本来、いい芝居をやるための練習。私は練習に神経をかけすぎて舞台で倒れた人間だ。(194ページ)

この本の最後は大豊さんが不器用な自分と正面に向かい合ったこの言葉で締めくくられています。

野球と出会い、様々な人と出会い、七起き八転びしてきた自分の人生に誇りを持っているからこそ出た、真っ正直な言葉だと思います。

登録名を”大豊泰昭”とし、日本ではそう名乗っていただけに誤解も多いようですが、台湾(中華民国)国籍のまま、外国人選手の扱いを外れた経緯もこの本で詳しく知ることができます。

本文中には大学時代の成績と全本塁打コースの図解データ、巻末にはプロ入り後の年度別打撃成績、全277本塁打の記録一覧も掲載されています。

大豊泰昭自伝「大豊」のサイン本

大豊泰昭自伝「大豊」のサイン本

今はもう大豊さんには会えませんが、この本を読めばいつでも心の中の大豊さんに会うことができます。そんな大切な一冊になりました。

現役時代を知る人も知らない人にも読んでいただきたい本です。


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ところで、映画ファンのわたしは大豊さんの生い立ちを映画にしてほしいと思っています。

台湾中部の山々に囲まれた静かな農村で生まれ、貧しいながらもご両親に厳しく愛情たっぷりに育まれ、野球に出会い、成長していく…

そんな一途な大豊少年を、美しい台湾の風景をバックに情感こめて描いてほしいのです。

20歳の大豊さんが、期待と不安が入り交じながら日本に旅立つ場面でエンドロールが流れるところまで想像しています。

きっと少年版「初恋のきた道」(原題:我的父親母親)みたいな素敵な映画になると思っているんですが、いかがでしょうか。

台灣寶湖宮天地堂地母廟から大豊さんの故郷埔里の街を眺める

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